(讲本)八宗纲要钞(下)(20/22)
真言の顺序で、八宗の历史と教义の纲要を简洁に记述し、终りに附说として禅と净土との二宗を添えている。よつて、详しくは十宗になるわけであるが、凝然が本书を着したのは、法然が净土宗を开いてより百年に满たず、荣西が入宋[火帚]朝してより七十余年、道元が曹洞宗を开いてより仅か三十余年に过ぎず、禅と净土の二宗は在来の八宗に比べてまだその历史が浅かつたので、附说として简略な记述にとどめ、本论に说く八宗を标题にとつて『八宗纲要钞』と名づけたのである。
从つて凝然の当时において、八宗の纲要を述べることは、仏教の全宗派を概说したことになり、附说ではあるが禅净の二宗も一応加わつているので、尔来、本书は仏教の初学者にとつて必読の书となつたのである。それが如何に広くまた多くの人に読まれたかは、现在残つているおびただしい注疏が如実にそれを物语つている。而も、本书が作られてより七百年後の今日においても、八宗の历史と教义を要领よく缠めた入门书といえば本书を第一に推すべきであろう。凝然自身も卷末の奥书に
予一宗教义尚非所轨。 余宗教观一无所知。 唯擧名目聊述管见。
仍错误极多正义全阙。 诸有识见者质之。
と谦逊して述べているように、仏教研究が长足の进步をとげた今日においては、それぞれの宗学の专门家から见れば、一部に首肯しにくい所说もないではないが、それらは本书の価值を失うほどの瑕瑾ではない。むしろ日本人の书いた平明な汉文を通して、仏教教理のなにものなるかを理解する上に、格好な入门书として推赏するに足るものである。
三
八宗の顺序については、着者が自ら卷末に
以前所列诸宗次第、非是浅深次第。唯随言列尔。列何可得故.且如上列之耳。
と记してはいるが、それは决して无秩序に排列したものではなく、小乘より大乘へ、三乘より一乘へ、显教より密教への次第をとつている点は、弘法大师の十住心判に拠つたものかと考えられる。しかしながら华严宗沙门たる凝然が、华严宗の後に真言宗を配していることは、显密の次第をとれ
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